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達人の進化ぶりは留まらない。蕎麦打ち教室に通い今では匠の域に達していた。
昼食前にとお招きを受けた訳が分かった。すでに、そば粉がテーブルの上に用意され、大阪の吹田市から奥様の友人三名が到着していた。美女が見守る中、蕎麦打ち作業がよどみなく進んでゆく・・・。カメラに納めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 麺ののし板は自作品、こね鉢、諸道具はすべて完備されていた。度々、ご家族やお客様と蕎麦パーテーをなさるという。 丸かったのがいつの間にか四角に伸ばされている。0.6mの厚さに延ばされた蕎麦は、切りやすい形に整えられ、蕎麦きり包丁で0.6mの幅にカットされてゆく・・。見事だ。 ![]() ![]() ![]() 豆絞り手ぬぐいで頭を覆い、奥様の前掛けをきりりと腰に巻きつけた松本氏は、天体望遠鏡を操る彼とは別人の風格だった。 ![]() ![]() 味?奥様の腕が加えられ、もちろん、Delicious! 季節の野菜の天麩羅とちらし寿司・・豪華な湖北のランチだった。
五月二十一日、世紀の金環日食をマキノ町の達人、松本美明氏邸宅の天体望遠鏡で観察した。
松本氏の説明によると、対物レンズ1200mの接眼レンズを凹面レンズ(松本氏の自作品)に取り換えて、白色アルミ板に投影して映し出されたものである。 投影された太陽の直径は約100mm程度だった。徐々に変化する太陽をアルミ板の上で安全に見ることが出来た。当日は快晴、最も進んだ時はサンルームの光は変わらないのに寒くなった。 丁度、傍のTVは串本の金環食の完全なリングを映し出していた。この場所でリングは繋がらない。ここは、北緯35度27分42秒、東経176度04分40秒である。 黒点(人工衛星?)が見える。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 串本のTV映像 ![]() この邸へは2009年に初訪問して以来三度目になる。彼の達人ぶりはまだまだ進化し続けていた。風力発電で電力をたくわえ種々工夫されている。私より二歳上だが、次々に湧くアイディアは青年のそれだった。最近、二階に造られたTV付きヒノキの浴室も、一流の職人技である。本人は「遊び」という。遊びをせんとや生れけむ(梁塵秘抄)・・というが、実益を兼ねた極上の優雅な遊びである。 電気関係の会社(大阪府)を経営していた松本氏ご夫妻とはアラスカクルーズでご縁を得た。今は会社経営をすべてご子息に任せ、マキノ市の別荘で“高級な遊び”をしておられるが、蔭に奥様の振る舞いが光っている。3年前あの時、驚愕した屋根の上の天体望遠鏡はまだ健在だが、今回の観測用に別の望遠鏡を用意されていた。 ![]() ![]() ![]()
20年ぶりだろうか。裸足で砂丘の砂の山を歩いた。一歩登って半歩ずり落ちる。遠目には、アリンコがアリ塚から這い上がっているかに見える。
砂の表面は暑いが、砂の中の足指はひんやりしている。シットリ湿り気のある砂の感触は、リビア・サハラ・タクラマカン・モロッコの砂漠のそれとも違う。高さ90mの小山を越えるとコバルトブルーの日本海、白波が寄せていた。夏は海水浴客でにぎわうのだろう。 ![]() ![]() ![]() ![]() “風紋”は、風速5~6mで風が創る芸術だ。東西16kmに広がる砂丘の西まで歩いてみた。砂の上に、砂漠の植物、コウボウムギが緑の葉を覗かせている。動く砂の中で育つ植物だ。地下茎が深く下に伸びている。砂が動いて毎年、数十センチの砂が上を覆うという。近年、外来種の植物が繁殖しているという。 ![]() ![]() ハングライダーが風に乗って舞い降りていた。 ![]() 砂丘へ向かう海岸線に風力発電機が並んで羽を動かしていた。 ![]() ![]() 家族連れやカップルの元気な声が飛び交っていた。一瞬、不祥事や危険な事故が相次ぎ、電力不足や財政悪化が危惧される国はどこの国?と思えそうな・・・。
五月二十一日、173年ぶりに見られる金環日食・部分日食の話題で賑わっている。
五月初洵、岡山県蒜山周辺を車で周っていて、“天の岩戸”という看板を目にした。確か、天の岩戸は宮崎にあるはずだが・・と思いながら車をまわしてもらった。ハーブガーデンの近くにその入り口があった。案内板には歩いて20分とある。ゴールデンウイークなのに誰も歩いていない。 それらしい細い急な山道は土と木で整備されている。木造の展望台のような建物が見えてきた。しかし、そこに看板の類も岩らしいものも見えない。正面にさらに上に山道が続いている。 多分、この先に違いないと思ってよじ登ったが、ここからは全く道は整備されてない。笹の葉の茎や木の枝をつかみながら、急勾配の山道だ。ウオーキングシューズでは滑りやすくて危険だ。まさか、こんなところを歩くとは思わず、登山靴は持っていない。途中で引き返すことも考えたが、上を見ると尾根が近い。 ![]() ![]() ![]() ![]() 日本書紀、第七段に出てくる、岩戸隠れの“岩戸伝説”は、他に三重県・徳島県・宮崎県にもあると聞く。昨年、十月、スサノオノ尊の日本初の宮や夫婦岩を見た奥出雲はここから遠くない。アマテラス(天照大神)が、弟スサノオノのいたずらを懲らしめるために岩屋に隠れた、天の岩戸伝説の岩を見て見たい。 ![]() ![]() ゆっくりよじ登った。 期待は高まり、さらに上に登り稜線まできた。ところが、中国山地が続くだけで何もない?いつの間にか、人の歩いた道も消えている。何やら、看板に騙されたような気分で、山を降りた。大汗をかいて何とか無事に降りてきた。 屋根つきの展望台まで戻り、山から流れる涼やかな水の音を聞きながら、大の字になって休憩した。寝転びながら新緑や屋根を写していると、何やら少し離れた緑の中に、苔むした岩のようなものが見えている。よく見ると注連縄(ちゅうれんなわ)が二つ見えた。「あった!」と飛び起きた。 傍までは近づけないが確かに大きな二つの岩だった。 古代、太陽(天照大神)が隠れて真っ暗闇になった現象“日食”の謂れの場所は、誰人も訪ねない秘境にあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 岡山県蒜山→鳥取砂丘と温泉(ナトリウム・ラジウム)を巡った二泊三日の旅は、息子の母の日のプレゼントだった。 ![]()
吹かずとも峰の桜は散るものを 心短き 春の山嵐 (詠み人知らず)
「人は身の引き際が、何よりの大事だ」とつぶやいたある社長が、手元の箸袋にしたためた・・と某新聞の片隅に見つけた歌である。含蓄のある一首だと思い、メモに残したのが一年前。 ![]() 四月下旬、芸北(庄原市高野町)の桜を愛でる機会を得た。 金秀寺・円正寺にある、樹齢三百年を経るしだれ桜、県の天然記念物である。数日前に盛りを終えたその桜樹は、仰ぎ見る風格ある枝の先までまだ花を残し、待っていてくれた。 折よく境内の縁側に座席をもらって宴もたけなわ。時折、演出したように吹く風に舞い散る桜の花びらが、宴席の抹茶の茶碗にそっと飛び込む。この上ない侘びの風情を醸す。これを“日本の美”と言うのだろう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 広島から三台の車に分乗したメンバーは九名、半年前に、奥出雲を訪ねた友人が中心で、事業の経営者ご夫妻である。宴席の話題も豊富で、愉快な楽しい仲間だ。どの顔もこの桜の下では、目一杯に緩み、いい顔になり幼い日を彷彿とさせる。 季節忘れず、老いた桜が、花を付け舞い散る効能は計り知れない。それぞれが抱えるであろう、浮世の雑事を忘れ、諸問題をリセットさせてくれるからだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 茶店のご婦人曰く。樹木医によると、この老桜樹の幹にコブ(癌のようなもの)が出来て痛んでいるのだと・・・。さくら募金箱に志を置いた。 ![]() ![]() 満開の桜でなく、散り行く桜はまた格別の風情がある。ふと、「月も雲間のなきは嫌にて候」(村田珠光)を思い出していた。 桜の花びらを、掃き清めている人を見たことがない。いつの間にか、地上から消え去っている。跡を残さないこの去り際がいい。故に古来から人の世に重ねて詠まれたのであろう。被災地の桜は、今が満開のころ、様々な思いを受け止めているに違いない。
地球ひとり旅の執筆で写真を整理している。
ここ数年、異国の各地で“今しか出来ない”経験をしてきた。何れも体を動かすことである。日本では出来ないカヤックやサーフインなど・・・。実に愉快であった。 タヒチ リバーカヤック ![]() ネパール・ルンビニ庭園 ![]() アイルランド バレン ![]() アイルランド ディングル半島 ![]() アマゾン・ジャングル ウオーク ![]() アラスカ フェアバンクス セスナで北極圏へ ![]() アラスカ ジュノー 山歩き ![]() タイランド 象の村 ![]() タスマニア グレードル・マウンティン ![]() メキシコ バハ・カリフォルニア ![]() モンゴル草原 乗馬 ![]() ニュ-カレドニア メラネシア住民と ![]() エジプト リビアサバク 駱駝 ![]() ロック クライミング クルーズ船上で ![]() パールハーバー 戦艦ミズーリ甲板 ![]() アイルランド サーフイン ![]() カリブの島ウォーキング ![]() アイスランド カルデラ湖 ![]() ハワイ島 マウンティンバイク ![]() 既に、”今ではもう出来ない”がいくつかある。筋肉が衰え、反射神経が鈍感になる、望まぬことだがこれが現実である。
二〇一一年九月
執筆のため、中断していたAmerican(アメリカン) Parks(パークス) Trail(トレール)をアップした。バスは、サウスダゴダ州から再びワイオミング州に入る。 小さな町に小さな博物館があった。 西部開発時代を生きた人々の生活が見える。歴史をとどめる品々が残されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Fort Laramie (フォート・ララミー) 現在は国定記念物として保存されている。 アメリカの西部の開拓とインディアン(ラコダ・スー族)との領土を巡る戦いが、百年以上続いたところだ。1834年に民間の毛皮取引の砦として設立されている。 その頃、この場所には猟師、毛皮商人、宣教師、移民、金探鉱、兵士等が忙しく動き回った所なのだろう。宏大なエリアに当時の名残をとどめる建物が残っている。 民族の誇り 米国政府はブラック・ヒルズの土地を押収し、裁判になり、一世紀後に、ラコタ・スー族が勝利をおさめる。しかし、金銭の受け入れを拒否、代わりに米国から自国の領土の返還を要求したという。ここは、後にポニーエクスプレス、オーバーランドステージと大陸横断電信システムの要所になってゆく。 茫漠とした平野が広がる。かつて、この地で繰り広げられた民族抗争の雄叫びや、馬の歪めの音が聞えそうな、木陰に腰を降ろして休憩した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ユーラシア大陸、南インドからポツリと一滴、こぼれ落ちたような島がスリランカ(セイロン)民主主義共和国だ。北海道より一回り小さいこの国に、ユネスコに登録された世界遺産が八つある。独自の生態系植生を持つ熱帯雨林と、仏教遺跡である。 建国は紀元前5世紀頃、北インドから移住した、シンハラ人が王国を創り、紀元前3世紀にアショーカの王子マヒンダが仏教(小乗仏教)を伝えたとされる。釈迦がインドから三度ここを訪ねているという。70%が敬虔な仏教徒である。 このこぼれた島と大国インドの間にあるポーク海峡(48km)は、砂洲と浅瀬で水深1~10m、大型船の航海は出来ない。イギリス&インド国は、幾度かここに運河を通しベンガル湾からインド洋へ抜けるルートを計画したが、両国の宗教・経済・環境問題の隔たりが埋められず、未だに進んでいない。この浅瀬は、釈迦が往来した頃は陸続きであったと云われる。 2011年11月中旬、スリランカを訪ねた。 往路はモリディブ(マーレ)経由で13時間をかけてコロンボ空港に到着。 北緯5度~7度、11月の気温28度、湿度80%、モンスーン型気候、人口2千万、 主な産業は繊維産業,化学薬品、皮革製品、宝石、家具。 コロンボ 三輪車タクシーが賑やかに働いていた。 ![]() ![]() ![]() シギリヤロック 緑の原野の岩山に、要塞のような王宮が残されていた。5世紀にシンハラ王朝の王位を巡り、兄弟があらそったという。平民の女性との間に生まれた長男カーシャバと、王族女性との間に生まれた次男モッガラーナがいた。長男は王位が欲しくて父親を殺害してしまう。弟の反撃を恐れた新王カーシャバが地上180mに築いたのが難攻不落のシギリヤロック宮殿である。 11年後、インドから軍を率いてきた弟との戦いに敗れ自害したという。後に宮殿は仏教僧に寄進された。 入口には沐浴場があった。風車を利用して水の流れを取りいれた庭園、自然を利用したトンネルなど、急な階段を上って最上階に昇り、広がる原野を眺めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() シギリヤレディー 岸壁の天女たち フレスコ画で豊満な美女が描かれている、十数人もいるだろうか。色鮮やかに残されていて観光の名所になっている。 頭髪を結い上げ髪飾りを付け、胸に宝石をあしらったネックレス、腕も貴石の腕輪で飾り指に蓮の花を持っている。この国は宝石の産地でもある。 ![]() ![]()
象の孤児院
ピナンワラにある象の孤児院を訪ねた。 スリランカでは今でも、運搬や農耕に象の力を役立てている地域がある。古来から、この国民と象との関係は深い。 この象の孤児院には、迷子になった子供の象や、密漁で親を失った象を保護されている。中には目の見えない象や地雷を踏んで足を失ったのもいるという。 一日2度、近くの川原に水浴びに向かう象の群れが見られる。それを見るために大勢の観光客が集まりカメラを構えていた。20~30頭の象がのんびりと水を浴びていた。見ると2~3人の係り員が周りを見回っている。水浴びを終えて象たちが戻る時に、観光客はバナナ売りからバナナを買って象に与えている。 優しい目をしている。草食の大きな動物は癒しでもある。 川原から孤児院まで後ろからついてゆき、ミルクを飲ませた。一リットルのミルク瓶を傾けるとゴクゴクと吸い込み、あっと言う間に飲み干した。片足は鎖でつながれていた。 この孤児院は、政府の野生生物保護局が運営維持して、生育した像は僧院や象使いに引き取られているという。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ダンブッラ石窟寺院 コロンボから148k東にある。紀元前1世紀、自然の洞窟に造られた黄金寺院ともいわれるダンブッラ石窟寺院は、1991年に世界遺産に登録された。 五つの石窟に分かれている。壁や天井まで壁画が描かれ、153の釈迦像、3つのスリランカ王の像、いずれも最も保存が良いといわれている。 スリランカの寺院に入るには、すべて裸足で入ることになっている。その為にサンダルを用意していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この記事はブログのファンのみ閲覧できます
宿泊したホテルから早朝の散策に出かけた。例によって草花や樹木を写しながら歩いていると、初老の男性が私に何か話しかけてきた。現地のシンハラ語でまったく聞き取れないが、何やら「サラ、ブッダ・・」と聞こえ、右手の方を指さしている。どうやら私に何か見せたいものがあるらしい。作業着を着ているが、警戒するような人にも見えない。ついてゆくことにした。
二分ほど歩き角を廻った所に、大きな樹木の幹に見たことのない赤と白の花が、弦のよう巻きついていた。初めて見る不思議な花だ。その時、ハッと脳裏に閃いた。これがきっと、“沙羅双樹の花”かも・・・・。夢中でカメラに納めた。 ![]() ![]() 私が花に興味があると思ったのか、わざわざこの場所に案内してくれたのだ。初老の男性にお礼を言うと、はにかむような笑顔が嬉しそうだった。ついでに私を写してくれるという。ボタンの操作を教えた。 この国の70%が仏教徒である。(ちなみにインドから南回りに流布した上座部小乗仏教) なんという幸運な一日の始まりだった。 実は、日本でいう沙羅双樹は”夏椿”のことらしい。 釈迦が入滅したインドでは夏椿は無いように思うのだが・・・。 ![]() この花も、仏陀に係わりのある花らしい、スリランカのガイドはサラの樹と説明している。 図鑑では、サガリバナ科”ホウガンボク”といい、丸い大きな実がなる。英語名、キャノンボールツリー原産地はスリランカ。 やはり、この花は私の沙羅双樹の花にしておきたい。平家物語の”祇園精舎の鐘の声、諸行無情の響きあり・・・の花の色でなくていい。 ![]() ネパール”釈迦生誕の地ルンビニ”郊外の、カピラヴイッツ城跡に咲く朱い花は、やはり無憂樹だった。
スリランカは、宝石の島として知られている。多くは中南部に位置するラトナプーラで産出される。ブルーサフイア・アレキサンドリア・キャッツアイ・ルビー・ムーンストーンなど・・どれもその筋のマニアには憧れの貴石なのだろう。
土の中から、どのようにして貴石が掘り出されるのか、興味は尽きない。岩山の採掘場に立派な掘削場と採掘機があるのだろうと想像していた。 ところが、バスがストップした道路わきに、屋根だけの採掘坑があった。汚れた作業着に身を包んだ人夫が働いている。 採掘坑は太い木材が組まれ、まず垂直に十メートルほど掘られ、宝石の出る地層に達すると水平に掘り進むという。雨水が入らないように入り口には屋根がかけられている。湧き出す地下水は。パイプを入れコンプレッサーで水を抜いていた。 また有毒ガスも出るので、除去するための設備もあるという。地中から取り出した土砂を笊に入れ、水で泥を洗い流す。やがて笊の中には小さな石だけが残っていた。どれも薄い緑色、やわずかに黄味や赤みを帯びたものがあった。実にアナログな作業だ。この辺りは各地に深い穴が空いているらしい。 レアストーン(稀石) 中にはウランやトリウムという放射性物質を含むものもあるとか。当に貴石ならぬ稀石は怪しい色に輝くのだろうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
1972年までこの国はセイロン島と呼ばれていた。標高1000mのヌワナエリアでは最高の紅茶が生産されている。元イギリスの植民地であったこの国で、初めて紅茶の栽培を始めたのもイギリス人である。故にイギリス人はコーヒーより紅茶が好きなのである。
B.O.P(ブロークン・オレンジ・ペコ)という銘の甘い香りの紅茶を試飲した。 この国の生産量の10%、7000トンが日本へ輸出されていると聞いた。 茶摘みは地元の女性の手で午前中に行われるのが常だが、昼過ぎの今日も茶畑に人が働いていた。新茶の摘み取りは手で行われる。宏大な茶畑は雇用の場でもある。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ハワイで見た、この樹なんの樹、気になる樹があった。現地の人に聞くと「マナの樹」と言っていた。 ![]()
昨年十月、上京の帰途に鎌倉を散策した。
鎌倉に住む50年来の友人が案内してくれた。八幡宮→頼朝の墓→覚園寺→瑞泉寺のコースを約五時間ほどで歩いて見学したことになる。彼女も健脚の持ち主だ。 鶴岡八幡宮へ続く、遠近法で造られたという段蔓の道は見事だ。さくら並木のトンネルになるという桜の頃、5月のつつじの頃はさぞや混雑するのだろう。 ![]() ![]() ![]() 八満宮の歴史を知るシンボル、樹齢千年と言われた大銀杏は2010年に暴風で倒れたが、その根元から若木が育っていた。 ![]() ![]() 源頼朝の墓 ![]() ![]() 瑞泉寺・・秋明菊(シュウメイギク)が古刹のたたずまいににつかわしい。季節の花が楽しめる庭園があった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 鎌倉幕府の武家の名残の家並が静謐に整えられていた。 ![]() ![]() 繁華街は人の賑わいでここが観光地であることを教えていた。 ![]() ![]() 昨年10月、京都の知人の案内で、電動自転車をレンタルし、アリスの小径を奥嵯峨野に向けて走った。幾度か訪ねているが全く異なる“京都の顔”に出会えた。京野菜の畑の傍を抜け、風情ある掘割の側道を走った。千代の古道は平安貴族が、北嵯峨に遊行の折に通った道という。 大宮人たちの絶好の遊猟や行楽地だったのだろう。この道、電動自転車でスイスイ通り抜けるには惜しいロケーションだ。清少納言や藤原定家の歌が刻まれていた。 ![]() 斎宮(さいぐう)神社 さざれ石 斎宮(さいぐう)とは伊勢神宮に仕えた未婚の皇女や女王のことで、参内するまでこの有栖川で、禊や祓いの儀式を行った野宮の跡とされている。瀟洒な神社で訪れる人とて少ないが、地元の篤い信仰のおかげで今も昔と変わらぬ姿で残されている。 この庭の一隅にしめ縄を付けた“さざれ石”がある。日本国国歌「君が代」の歌詞に歌われている、さざれ石(細石)が巌(いわお)となった状態のものである。このような岩が日本の各地にあるらしい。 ![]() ![]() ![]() 安堵(あんど)の塔 正和3年の春、日蓮の弟子日像が車折神社で「法華経」の布教のために辻説法を行っていたとき、他宗徒から迫害を受け、古墳に逃れて危難を免れた。その謝意を表して、日像が古墳の石蓋に“南無妙法蓮華経”と刻んだ題目石のこと。 後に地元では、この石に“難除け”を祈願する信仰が生まれ、この題目石を“ルルゲさん”と呼んでいる。“ルルゲ”とは、龍(りゅう)華(げ)樹院日像の(りゅうげ)が訛ったもの。 ![]() 油掛け地蔵 1310年、鎌倉時代後期の石仏で、地蔵ではなく、阿弥陀如来坐像である。 油売り商人が水の代わりに貴重な油をかけ、供養をし、願をかけたことに始まると伝えられ今も食用油が掛けられテカテカと光っていた。 ![]() 広沢の池 観月の名勝地と云われる。古の都人たちが千代の古道を通って、広沢の池にお月見に出かけたともいわれる。化(あだし)野への葬送の道でもあったという。この西側には嵯峨七つ塚古墳の呼ばれる円墳の群がある。端正な北山杉が美しい。 ![]() ![]() 北山杉 ![]() 蛇塚古墳 京都で最大の横穴式石室の前方後円墳、石室部分が国の史跡に指定されている。明日香村の石舞台に匹敵する大きさ。名前の由来は石室の奥に蛇が住んでいたとか・・。 ![]() 奥嵯峨野“こい茶屋” 知人の所縁の料亭という“こい茶屋”で昼食をいただいた。紙の器でいただく湯葉料理は逸品。 ![]() ![]() 数年、何かに憑かれたように地球を歩き回っていた。 アラスカ・南米アマゾンリバー・ネパールのインド国境・北米国立公園・スリランカ、手つかずの自然にどっぷりと浸かっていた。また、ヨーロッパで宏大で荘厳な庭園を見て歩いた。 それとは違う、異質の文化に癒される。 奥嵯峨野のたたずまいに、さりげなく凝縮された自然が置いてあった。 四季折々に異なる風情を見せてくれるのだろう。日本人の繊細な美意識の極みがここにあり、欧米のそれとは違った光彩がうれしい。庭師の心意気が伝わってくる。この空気感は欧米の文化には探せない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
昨年10月中旬、山陰奥出雲を旅した。メンバーは昔の勉強仲間6名。広島県中小企業同友会の会員で、事業主や専務取締役として活躍されている。
類は友を呼ぶというが、問題意識を共有しているからだろうか、私が事業を閉鎖した今も交流させてもらい、年1~2度、趣向を凝らした集まりを楽しんでいる。 宿泊地を秘境“海潮温泉”に決めて、2台の車に分乗して国道314号を走り、日本一の二重ループ橋“おろちループ”で休憩。“おろち”とは、古事記・日本書紀に出てくる須佐之男命(スサノオノミコト)の八岐の大蛇(だいじゃ)退治のことだ。 朱塗りの橋が趣を添えている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 出雲横田駅(木次線)は別名、櫛稲田駅(クシナダ駅)ともいう。大社造りの木造駅舎だ。出雲大社を模した巨大しめ縄が、ここが出雲神話の街と教える。 ![]() 絲原記念館 奥出雲を代表するたたら製鉄師・山林地主の絲原家に伝わる美術工芸品、民俗資料、たたら製鉄の資料・製品・模型を見学した。見事に手入れされた出雲流の庭園を眺めながら、抹茶をいただいた。この地域は松平不昧公ゆかりの茶の湯が盛んである。 豪荘な屋敷まわりに、白壁の蔵があり、奥手の林間散策路「洗心の路」で、出雲の秋を堪能した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() マムシ草 ![]() 海潮温泉に落ち着いて、近くにあるという須我神社に出かけた。ここに、須佐之男命(スサノオノミコト)が、八岐の大蛇(だいじゃ)を退治した後、櫛稲田姫(クシナダヒメ)を娶って宮を造った“日本初之宮”がある。そこから数キロ、夕暮れを気にしながら、夫婦岩まで、くねくねした出雲路を歩いた。目的地の登り口に着いたが、夫婦岩に昇るには暗すぎる。引き返す。 ![]() ![]() ![]() 翌朝、車で近くまで行き、夫婦岩まで登った。出雲の神々の宿る御室山の中腹に鎮座した大・小の巨石(夫婦岩)は薄暗い林の中に、コケを付けてどっしりと、千三百年前の古事記を語っていた。 須佐之男命が詠んだという「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣をは、日本初の和歌とされ、“和歌発祥の地”と伝えられる。夫婦岩への登り口から、“八雲文学碑の径”が続き、随所に歌碑が立っている。 中国山地の山々が幾重にも重なり、山里深い日本神話の里は、おろち伝説に相応しい。 この夫婦岩は縁結びの神と云われているパワースポット。そういえばメンバーはみな夫婦ご円満な方だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 風雅な設えの秘境温泉の宿のかけ流し源泉でくつろいだ。その夜の宴は奥出雲和牛のすき焼きに舌鼓。ひとしきり胃袋を満足させた後に、いつか話題は政治・経済になっていた。優れた経営者である彼らのオピニオンは整然として厳しい。 ![]() ![]() 翌日、宍道湖から松江城へ・・。天守閣(重要文化財)に昇って四方から城下町をながめ、屋形船で堀川を巡った。この堀川は宍道湖に通じており、薄い塩分を含む。武家屋敷・小泉八雲の旧邸など、景観法で守られた城下町の風情を堪能した。松並木の後ろに聳える天守閣は絵になる。三年前にUSAの友人を案内した時、このアングルで何枚も写真を写していた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 後日、Iさんご夫婦が見事なカラー写真集を作ってくださった。感謝! ![]()
昨年と今年、太平洋戦争の傷跡を追いかけていた。山崎豊子氏の“運命の人”を読み終えたばかりだ。巻末の膨大な参考資料に圧倒され、二〇一一年、一二月末、家族と沖縄に出かけた。在日米軍用施設面積の七五%がある沖縄県。嘉手納飛行場・普天間飛行場・移設予定地に挙げられている、名護市、キャンプシュワブ近くの辺野古周辺を廻った。
嘉手納基地 羽田空港の二倍の広さをもつ、東南アシア抑止力と称される、極東最大の空軍基地だ。 四〇〇〇メートルの滑走路二本、二〇〇機の軍用機が常駐されているという。 本島の中心部を占めており、整備された周りの道路を走行しながらカメラに納めた、フエンスの向こうに装甲車が並んでいる。芝生の緩やかな丘陵地に管理施設が見える。何キロ走っただろうか、基地を囲うフエンスは終わらない。 ![]() ![]() ![]() ![]() 普天間飛行場 宣野湾市にある嘉敷高台公園の展望台に登った。ここからが普天間基地が見えるという。 二七〇〇メートルの滑走路が見えた。殆んどが私有地で三〇三一人の地主が賃貸料を貰っている。 ![]() ![]() ![]() キャンプ・シュワブ 東側海岸部に位置し、国道を挟んで、西側と南側は米軍施設のキャンプ・シュワブ呼ばれる基地だ。ジュゴンの生息が確認され、マングローブの森があるという。現在、普天間基地代替施設の建設案がこの沖合に持ち上がっている。地元住民をはじめ自然保護団体からも反対の声があがっている。間に山があり、直接往来は出来ないところだった。離れた所からカメラでズームした。 ![]() ![]() 近くに森のハーブガーデンという立て看板が見えたので、車を止めて中に入った。有機農法で鶏を飼育し、ハーブを育てているという。庭園はクローズしていたが、ご主人が案内してくれ植物を説明してくれた。辺野古沖に基地が来るようになれば、営業は出来なくなると話していた。森のたまごやさんでも検索できる。 ![]() ![]() ひめゆりの塔と首里城を観光した。 ![]() サトウキビ畑 ![]() ![]() ![]()
2006年に出版した「世界の山旅に魅せられて・・地球の今を視た」
に続き、2冊目を出版することになりました。 脱稿は来年2月を予定しています。市場へは8月か9月、その準備に向けて、再々、東京に出向いています。 タイトルは未定、内容は私を地球放浪のひとり旅に導いた軌跡と生い立ちから、筆をおろしています。 American Parks Trail の最後(西部劇の舞台とフォート・ララミー、ロッキーマウンテイン、デンバー)が残っていますが、そのうち、アップします。 11月16日からスリランカを予定しています。帰国は11月27日、 年末の大掃除を前倒ししながら、細切れに時間を集めて、60年前の記憶を手繰り寄せています。
1870年に大規模な山火事で焼失した街がDead Woodとして復興し瀟洒な観光地になっていた。
ホテルもレストランも1階はすべてがカジノ(Casino)の店が並んでいる。 ![]() ![]() ![]() ガソリンスタンド ![]() ![]() The Mount Rushmore(ラシュモア山国立記念公園)National Memorial Park、 サウスダコタ州キーストーンにある、アメリカ合衆国の成立、発展、開発を記念する建造物、公園の面積は1,278エーカー(5.17km2)1925年、国定記念建造物に指定された。 Wikipedia資料より、「政府から委託されたガットスン・ボーグラムは400人の作業員とともに、標高1745メートルのラシュモア山の白い花崗岩の露頭に、1927年から1941年10月31日まで14年間をかけて、60フィート(18m)にも及ぶ巨大な胸像を彫った。彫られているのは、アメリカ合衆国建国から150年間の歴史に名を残す四人の大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルトとエイブラハム・リンカーン)である。ラシュモア山の岩盤は非常に硬質で、彫刻作業は困難を極め、ダイナマイトで砕きながらの作業となった。硬質な岩盤が選ばれた理由は、アメリカの象徴ともいえるこのモニュメントが長期にわたって風化しないようにという配慮からである。」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ビジターセンターや博物館が整備されている。プレジデンタル・トレイルが整備され,巨大な彫刻をカメラに収めた。南北戦争にかかわるリンカーンは南を、初代大統領ワシントンは出身地の西を向いていると担当のレンジャーが説明していた。 ワシントンは大農場主で奴隷を数百人使っていたことがあり、インディアンの末裔はワシントンに対する反感を持ち、この山より大きな彫刻をつくるのだと、クレイジー・ホースを造る理由にしている。 Buffalo Safari ![]() ![]() 希望者でジープに分乗し、Safari Tourに出かけた。ジープの座席にカウボーイ・ハット(Cowboy Hat)と黄色いチーフが用意されていた。サファリと聞くと数年前のタンザニアのサバンナのサファリを思い出すが、ここはアメリカ西部の国立公園内、ジープが走るのはアスファルト道路でバウンドすることもない。山の奥までバッファロー(パイソン)を追った。囲いの中で保護されているのは見えたがなかなか車の傍では見られない。日によって違いがあるらしい。 目的地の終点にはBarbecue Partyが準備され、プロのWestern Musicianが帆馬車の前でギターで歌って歓迎してくれた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ロッキー山脈の気温は急激に下がり、ブランケットを借りて巻き付け、チキン・ポテトサラダ・煮豆・スイカ・コースローの料理を震えながら食べた。暖かいコーヒーのおいしかったこと。みんなが愉快に踊り、ユーモアたっぷりのジョークで盛り上がり日暮れの前に山を降りた。公園には通行制限時間がある。CDを15ドルで購入した。
Little Bighorn Battlefield (リトル・ビッグホーン古戦場国定公園)
1876年、インディアン連合軍とアメリカ政府軍が,激しい戦争を繰り広げた、アメリカの民族戦争史を語る上で欠かせない場所だが、観光客はそう多くない。 ヨーロッパとアメリカの文化が衝突した象徴的な戦場として、アメリカの教科書にも登場する。「リトルビックホーンの戦い」の場。インディアンは、政府群に鎮圧され、以降、国有墓地と整備されている。 暫し見学・散策。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 記念碑にラコダ族の酋長Crazy Horse (クレージー・ホース)のメッセージがある。 “We did not ask you white men to come here. The Great Sprit gave us this country as a home. You had yours .. We did not interfere with you .. We do not want your civilization.” ”あなた方白人に、ここに来てくれと頼んでいない、この土地は神が私たちに与えたものだ。あなた方には、あなた方の場所があるではないか。我々はあなた方になんの干渉もしていない。我々はあなた方のいう文明など要らない。 「民族の誇り」に心打たれる。 ![]() 時代も規模も異なるが日本の古戦場と重なる。日本の武士と同じように、戦場(Battlefield)に散ったインディアン戦士とアメリカ白人兵それぞれに悲しんだ家族がいたことを思いながら、果てなく広がるロケーションを写した。 Craxy Horseこの戦いの指揮したクレイジー・ホースを英雄として讃え、ここSouth Dakota州の西部、ブラック・ヒルズの山に巨大な記念碑が彫刻されている・・まだ未完成で現在も製作中、1998年には顔の部分が完成し、すべて完成すればクレイジーホースが馬に乗り、指をさしている姿で高さ170m、長さ195mと世界最大の彫刻になるという。 ![]() ![]() 完成予想図 ![]() この彫刻はコルチャックと(1982年没)いう、私人の発案で造られている。連邦政府から支援を申し出たがそれを拒否し非営利団体に運営を任せて現在に至っている。 この彫刻についてはBlack Hillの神聖な山を傷つける行為だと反対論もある。 ![]() ![]()
モンタナ州の州都Billings ヘ
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美しい湖から山火事の樹林帯を通過、モンタナ州南部の大農業地帯を走り抜け、CODYという町のBuffalo Bill Historical Center(博物館)を見学、この地域に住んでいた原住民(インディアン)の生活をリアルに展示してある。館内にバッファローや小鳥の声を再現している。狩猟民族のインディアンの暮らすアメリカ大陸は東西南北に広く、場所によって環境も食料も異なっていて、周りの自然環境に上手く適応し暮らしてきたと解る。灼熱の夏と厳寒の冬は移動して生活し,水をうまく利用していた。毛皮と道具や作物を交換したり,交易や医療に対しての知識も豊富だったと博物館の資料に記されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 考古学者の発掘調査 ![]() バッファロー(パイソン) ![]() ![]() ![]() バスはモンタナ州へ山を越えた。車窓の眼下には広大な針葉樹林帯、深い緑の中に黄色や茶褐色の紅葉が混じりあっている。高い山のヘアピンカーブを無事に降りてきたドライバーに車内から大拍手! 気温が高くなり一枚上着を脱ぐ。 ![]() ![]() 荒野を走る鉄路・・農作物を運ぶコンテナ車列 ![]() 天然ガス精製所 ![]() 友人は「Kimiko Why are you take a picture such sights? 」と聞く。I need it
イエローストーンはアメリカ大陸最大の火山地帯世界初の国立公園として1872年に整備され、1978年世界遺産に登録されている。この広大なカルデラに奇妙な地質があると云われるのは、この火山盆地は220万年前、130万年前、64万年前には破局噴火があったと記録されているからであろう。気の遠くなる昔の話。氷河期と云われマンモスが死滅し化石として残されたことで知られている。
“オールド・フェイスフル”"Old Faithful" 観光客の多い間欠泉をレンジャー隊の説明を聞きながら約1時間、地熱現象を間近かに見て回った。大小さまざまな色の温泉、100度を超える高温の湯と蒸気が泡立ちながらシューシュー、ドクドクと音を立てて湧き出でいる。ミネラルに覆われた温水と噴気孔、泥の気泡とカラフルな液体が一面に貼り付いて大きい火口丘をつくっているものがある。それぞれに相応しい名前が付けられていた。 数百ものGeysers(間欠泉)の中には、地下の温泉の中で何時間も、何日も静かに眠っていて、一定の間隔で湯と蒸気が何十メートルも噴出上昇し、やがて静かに眠るかのように鎮静化してゆく。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この状態が何万年も変化しながら続いているという。地球を抱える宇宙の不可思議さにあらためて畏敬を禁じ得ない。 ビジターセンターではコンピューターで情報管理されていて、何分後にどこのGeysersが噴出するかを知ることができる。この情報で観光客がアリンコのように集まってくる。丁度、90分間隔で噴出する間欠泉に向かって人がぞろぞろと移動し今か今かと地下からのメッセンジャーを捉えるべくカメラを構えていた。 今年7月に訪れたアイスランドでも間欠泉を見てきたが、その広さとアクティブさにおいてはイエローストーンは比較にならない。木道が整備され地熱現象は数キロにわたり観察される。白い蒸気の水煙が平野に、山腹に、湖の縁に、そして川の下部からも上昇しているのだ。地下に大量のマグマが溜っており、そのサイズはイエローストーン国立公園全体(四国の半分)の面積に等しいと学者の研究発表がある。 ![]() ![]() 現在、マグマの噴出しているところはないが地震が活発化しており、この10年間で公園全体が10cm以上隆起し、池が干上がり、噴気が活発になり危険な兆候が観察されている。そのために立ち入り禁止区域を設置し、観察機器を増設していると報じられていた。。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私たちはイエローストーン国立公園のロッジに2日間滞在する。翌日周辺を観光、何分広大なエリア、緑の針葉樹林帯が続いたかと思う地山火事で焼き尽くされた場所も少なくない。飛行機で消火剤をまくTV映像を思い出す。よく見ると根元から若木が育っていた。これが自然現象なのかと・・。 ![]() ![]() ![]() ここにも地熱現象が見られた。 噴火で立枯れた樹木、コーンの様な形になった石灰石など・・・。さまざまな姿を見せてくれる北米のNational Parksだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ロッジに戻り、自由時間に再度一人で反対側を探索して歩いた。偶然バッファロー(パイソン)に出会った。体重1000kgもあり、のんびりと草を食んで群れで移動する。このバッハローの群れが交通を止め大渋滞をきたすこともあるという。 翌日、再度一人で反対側の奥まで探索して歩いた。川面から水蒸気の噴出とバッファローをカメラに収めた。この日、近くでバッファローを写せたのは私一人だったようで・・。 ![]() ![]() ![]() マンモス・Hot Spring 石灰がケーキのように固まっている ![]() ![]() ![]() 川岸から噴出するスチーム ![]() イエローストーン国立公園はアメリカの野生生物の避難所として役立っている。数少なくなった米国の野生動物、バッファロー(パイソン)オオジカ、鹿、ヘラジカ、コヨーテ、ワシ、クマ、オオカミがイエローストーンの草地をのんびりと歩き回っているというが、私が近くで写真を撮れたのはバッファローと鹿だけ、バスの中からコヨーテとムース・遠くにオオカミが見えただけ。 ![]() ![]() ![]() 近くを流れるイエローストーン・リバーには多彩な岩石を縫って流れる二つの壮大な滝と峡谷がある。写真スポットで知られるイエローストーン、グランドキャニオンである。どこかで見た景色とダブルが納得の一枚を残した。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大型バスはひたすら荒野を走る。ユタ州→アイダホ州を通過してワイオミング州に入った。アイダホと云えばポテトで有名な州、1kmにも及ぶ長いコンテナを積んだ列車が走っていた。 バスはテトン山脈を西に見てスネークリバー(Snake River )沿いにGrand Teton National Parkに向かう。途中にジャクソン湖畔で休憩、車で数時間走っても同じ風景が車窓を駆け抜ける。ここはアメリカ西部、ゴールドラッシュ・幌馬車・カウボーイなど西部劇映画に出てくるような景色が続く。 ![]() ![]() ![]() アイダホノポテト農園 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ムースの角でできた公園のゲート ![]() ![]() ティトン公園の夕焼け ![]() グランドテトン国立公園 斜面に氷河を載せたティトン山脈のピークは標高41978m、ロッキー山脈の一部になっている。7つの湖や渓谷があり夏から秋の初めは各地から避暑にバカンスに人が集まる。キャンプ場も整備されているリゾート地。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 気候は半乾燥山地気候で最高気温は34度、最低気温マイナス43度にもなる。丁度今が短い紅葉の季節、針葉樹林の中に点在している広葉樹が黄色に色づいていた。 Float Trip Through オプショナルでスネークリバーをゴムボートで下った。ライフジャケットをつけて約1時間、水音を聞いて変化する山を見てカメラに収め、川面を遊ぶ小鳥を追った。 心地よい風に白い山と黄色の樹木に青い空と水・・・ゆっくり流れに身をゆだねてもう、言葉はいらない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
Salt Lake City (ソルトレーク市
![]() ![]() 空港の写真を写す、周りは岩の山に囲まれゴールドラッシュの名残を残す。 ![]() ![]() 2002年冬季オリンピックが開催されたユタ州、人口180万の街。ロッキー山脈の西部にあり、鉱山資源に恵まれ、IT産業でも知られている。真新しい高層近代建築物が並んでいる。 ![]() ![]() ![]() 夕刻6:30恒例のWelcome Partyでメンバーの顔合わせから旅は始まった。 私は細切れの睡眠で疲れ気味・・。今回は多国籍でUSA・オーストラリア・ドイツ・カナダ・UK・英国・アイルランド・アジア人は日本の私だけ、総員40名。殆んど退職者夫婦、友人同士・家族組、単身参加は3名。 旅を続ける内に徐々に分かり合えたことだが、元弁護士、医者、看護婦、研究者、会社経営者と比較的社会的地位の高い人が多く、旅に慣れておりマナーよく、トラブルこともなく素敵な別れが出来たと思っている。 英国から参加している笑顔のきれいな女性はよく話しかけてくれた。やはり英国英語は聞きやすい。旅の終わり近くなって彼女は「私の元の職業は秘密よ」と笑って言う。何故かというと参加者のほとんどが高齢者「脈を診てくれとかいろんな症状を言ってこられると困るから・・」と快活に笑う。彼女は元内科医だった。 翌日、写した集合写真 ![]() ![]() 前列にしゃがんでいるのがドライバーとデレェクター
旅の終わり
![]() ![]() アスファルト道路に落ちている枯れ葉が靴の底でパリッと砕ける。数週間以上も雨が降っていないのだ。滞在ホテルから私は荒野の様な草むらをパラソルで日差しを避け30分ほど歩いてきた。 枯草の中に丈低くサボテンが生きていた。すぐ傍になんと高嶺の花が咲いている。どこから命の水をつないでいるのだろう。確かにここは標高1600mの1マイルCityだった。その健気さが愛しくパラソルで強い光を遮断し夢中でカメラに収めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 高い建物の類はなく、遥か遠くまで平原が続いている。 歩き疲れて木陰まで戻り一休みしながらメモを取っている。聞こえるのは飛行機の発着でもなく、人の声でもなく、高速道路の音だけ。耳からショパンを聞く。 1昨日の夜、10日間のINSIGHT VACATIONSの旅が終了した。 単独で市内ツアーを済ませた後、シャトルバスでこの空港ホテルに・・、2泊し明日は日本へ発つ。 デンバー国際空港は白いテントの様に見えるユニークな建物で知られている。遠くからはロッキー山脈をイメージした様に見えるからだ。アメリカ合衆国で最も若い国際空港で総敷地面積137km2は、商用空港としては最大と云われ、且つ12本の滑走路を可能にしているというから驚きである。 すべてのAir port ホテルはノンストップで車15分以上走ってところに建てられていた。 デンバー郊外の休日、私の贅沢な時間でもあり、同時に聊かの寂寥感も・・・。再び訪れることのない大地だから・・・。コロラド州旗とアメリカ国旗がはためいている。急に物音に驚いたのか鳥が集団で飛び回った。 ![]() ![]() ![]() 1~2か月ごとに広島市中心地のアーケード街を歩いて歯科医に通っている。自宅から約1時間の距離だ。 数年前、この商店街はところどころにシャッターが下りていたが今は様変わりしている。どの専門店も今風にアレンジされ、店先も工夫されていておもしろい。 アーケード街から一筋、二筋入った小路にも風情のある店が並んでいる。 靴下だけを売る店があった。なんと多くの種類の形・色・デザイン・素材と陳列されている。これでは選ぶ人も大変だ。傍に靴下のような、でも足先がない長い物がつるしてある。はてなんという名前でどこにどのように着けるものなのか?あまりショッピングで街歩きをすることのない私は、若い女性の流行には疎くこんな発見をするのも悪くない。そういえば過日、遊びに来た孫娘の持ち物をしげしげと眺めていたものだ。 ![]() 私のウオッチングはShow windowだけでない。街を歩く若い女性の格好に及ぶ。布を巻きつけたような上着、下半身は股引のようなタイツの上にブルマ―(昔の体操服)のようなものを重ね、足にはカラフルなサンダル。肩から脇に下げたカバンはお尻の下あたりで揺れている。歩きにくかろうが数人が横に並んで談笑しながら歩いている。これが今風の流行? 妙に色と色とが喧嘩しているのが気になる。ストレスになる色彩の組み合わせは見てて疲れる。当然、好みの色に個性があっていいと思うが、全体から醸し出される調和が欲しい。 ここは確かに日本なのだが、彼女らの口から洩れ聞こえる言語は嬌声に近い、フレーズは短く意味不明。まるで異邦人、すっかり仲間うちの世界に入り込んでしまって公共の場と云う配慮はない。十代の若者の特権と言いたげだ。 大阪に住むわが孫娘たちを思いながら、願わくは成長と共に社会の中で揉まれて迷って学んでゆくのだと信じたい。 たかが一時的なIn trend(流行)とあれば驚くことはない、どこの世界でもいつでもあることなのだから・・。商業ベースでだれかが誘導しているのだろう。流行にのり後れることを恐れるのは、横並び志向に通じる。「みんなと一緒」が生きやすい安心な居場所。私も大人から「今の若い者は・・」と云われた記憶がよみがえる。 時代と共にスカートの丈や髪の毛が短くなったり、長くなったり、髪のスタイルなど目まぐるしく変化してきた。 そんなことを考えて歩いていると、前方から目を惹く若い女性が歩いてきた。藍染めの木綿の上着にオフホワイトの7分丈パンツに白いミュール、ホワイトのエナメルのトートバック。思わず振り返っていたのは背筋がまっすぐで歩き方が美しかったからだ。 つまり肩や腰が左右に揺れずロングヘアーの頭が上下しない。腰から伸びた足がまっすぐに踵から着地し、目的のある歩き方に知性がみえる。私の美意識を満足させる人がいてほっとした。 バスセンターまでゆっくりと散策した。 Un in trendは個性とか自信をベースにした強い意志と美的感覚が必要なのだろう。 私が流行の色とかスタイルに頓着しなくなったのはいつからだろう。年齢のせいもあるが、軽くて吸湿性があり、速乾性・伸縮のある素材を選んでいる。旅先で便利だから・・。気が付くと身の回りにオレンジとイエローカラーのものがない。私とケンカする色彩なのだ。体型があまり変化していないので10年来も大事に着用しているものも数点ある。 インプラントの治療をしている私は、当分は定期的にアーケードを散策する楽しみが増えた。街角探索で今風を探してみよう。
2年前にイギリスの田舎にあるFoot Pathを3日間で歩いた記事をこのサイトにアップしていた。
数か月後、某月刊誌からオファーがあり、一部を掲載したためすべて削除していた。 最近、東京に住む女性から郵便で問い合わせがあった。私のブログにはコメントが入らないようになっている。ホームページの方から住所を探したらしい。以前、コッツウォルズの記事を確かにこのサイトで読んだと思うのだが見つからない・・と。今、彼女はこのコースを歩く企画をしているという。 そこで加筆、削除してリライトすることに・・。 マイ・コッツウォルズ My Cotswold Walking Holidays 2009.08 ![]() その蜂蜜色の石造りの家並みは、幾重にも連なる緑の丘と森とフィールドを背景に佇んでいるという。近代化から取り残されたような中世の田舎町The Cotswold(コッツウォルズ)は、Englandロンドンの西、車でおよそ2時間半の距離にあり、いくつものPublic Foot path(パブリック・フットパス=公共の遊歩道)があると聞いていた。 いつの日か歩いてみたいと願った地域を2009年夏、一人旅でその夢を叶えた。 3日間の初日はチェルトナムからウインチクムまで約14kmを歩く、なんとそのルートに日本語の案内図がないと知ったのは当日の朝だった。まだfoot pathの道標も整備されていない。私に与えられたのはEnglishの案内文とルート地図が描かれた4枚のプリントのみ。 夕刻、約束の時間までにウインチクムの指定されたポイントに辿りつかねばならない。そこで送迎車と合流し、スーツケースが届けられている次のVillageのB&B まで送ってもらう仕組みになっている。 心細い英語力、土地勘のないシニアの日本人女性ひとりで、果たしてこの道と距離が歩けるのか?と不安になったのだろう。出発の時、B&Bのマダムは大層心配してくれて「何かあったら電話するように・・」と電話番号を書いたメモを渡してくれた。親切がうれしい。しかし、私は国際対応のモバイルを持ってきていない。 兎に角、 歩き出す。9:30am ![]() ![]() ![]() 地図を頼りに人口10万の都市チェルトナムのプロムナードを抜け、浄水所の裏庭を通り、競馬場の周りを歩き、数人に道を確かめながら複雑な街中をどうにか通り過ぎた。 いよいよField(牧草地帯)に入る。何度か道路にザックを下ろし、電子辞書を開きWardの意味を確認する。シーズンオフなのか誰も歩いていない。私のイメージではグループや個人が歩いていて道に迷うことは想定していなかった。土地の人に出会うと、地図を指示し正しい道かどうかを訪ねた。どなたも東洋人に親切に教えてくれた。地図の案内に従ってフィールドを囲っているスチールの扉を開き、木造のゲートを乗り越えた。しかし、次は鉄条網の柵だけで隣のフィールドに渡るゲートがない。May be wrong way 引き返す…ようやく案内文に書いてあるlined with houses(壁に線のあるチューダー様式の家)が見つかった。 ![]() 案内文にはGo straight ahead until you come to a junction(this is a Prestbury England ‘s most haunted Village)Cross over to enter SHAW GREEN LANE. In front and above you is Cleeve Hill(the highest point in the Cotswold),which you are about to climb. Use the cluster of three radio masts as a landmark. Continue to the main road.という具合に記載されているだけ・・。 ともかくコッツウォルズでもっとも高い丘(Gleeve Hill)の上に立っている3本のラジオのマストまで辿り着かねばならないらしい。ようやく、遠く小高い山の上にその3本のマストが小さく見えた。この道が正しかったことにほっと安心する。もう5kmは歩いただろうが、とても休憩する気分にはなれない。 アスファルトの道路を横切って再び、牧場のフィールドに入った。はっきりした道はない。どこでも歩いて良いのだが、柵で囲まれた広い草原のどのあたりに次の踏み越しゲートがあるのか分からない・・。一軒の家が見つかり、屋根を直している男性がいた、近づいて大きな声でどの方向へ抜ければラジオ・マストに行けるかを問うた。すると、わざわざ屋根から下りてきてくれる。地図と案内文を見せると林の方を指さして教えてくれた。実は彼の英語はよく聞き取れなかったが,Thank you so much感謝の握手をして林へ向かって歩き出した。 どうにか丈高いフィールドを脱出したが、今度は林の中に迷い込む。「灯台下暗し・・」でここからはランドマークの3本マストの方向が全く分からない。コンパスを持ってきていないことを今更悔いても仕方がない。 とにかく轍の後を登ることにした。やがて道は反対の方角へ下っている、また不安がよぎる。自分の感だけに頼って下ってはまた、道なき道を登った。ようやく間じかに3本マストが現れた。「ヤッター!」と歓声。大きく深呼吸。ところがまた一難、丈高い茨の草むらと高い鉄条網でゲートが見つからない。どうにか短い脚を目いっぱい伸ばし、怪我を覚悟で比較的低い所をまたいで乗り越えた。Safe! ![]() ![]() ようやく目指した3本マストが目の前にある。丘の頂上は思いのほか広い平原で短い草の牧場だった。草いきれの中で緑の空気を胸いっぱい吸いこんだ。眼下に森と牧場と幾重にも重なる丘の向こうに小さな村(Village)が見える。イメージしていた景色だが、どの方向に歩いていいのか分からない。というのは案内文に書いてあるゲートが見つからず鉄条網を越えたからだ。 ラジオ・マストに誰かいると思っていたが無人だった。はたと困惑。すると遠くから牧場の人らしい親子が犬を連れて歩いてくる。私は走って近づき、Excuse me I’d like go to Winchcombe. I have to going which way? と案内図を示してウインチコムへの道を訊ねた。中年の男性は快く応待してくれ、自分のポケットから地図とコンパスを取り出して指さして教えてくれた。小さく見えている家々が目的地らしい。残り約4kmという。それはいくつかの丘と森とフィールドの向こう側だ。 また、何度目かの一安心。ハラハラ・ドキドキしながら、ようやく3枚目の案内図まで辿り着いた。 ![]() 山登りとは違うが独り歩きなのでザックには必需品は入れてある。いつも持ち歩く風邪薬と下痢止め、捻挫した時の湿布薬、傷薬、消毒薬、非常食、貴重品、雨天兼用傘、予備のソックス、防寒具、サングラス、貴重品、電子辞書、カメラ、水。時間は十分あるし方向も分かった。カメラを取り出し、羊と牛を入れて数枚をレンズに収めた。この香りと心地よい風も写し取りたいのだが・・。それは私の五感にしかと刻んだ。振り返ると今朝、歩いてきたチェルトナムの町がかすかに見える。4時間以上を歩いているが食欲はない。 ![]() ![]() ![]() 水を飲んで気合を入れ、ふもとの村を目指して歩き出した。 傍を歩く羊にhello! 声をかけ一緒に並んで歩く。全く人間を警戒しない。 下りの道はみつかったが、地図に書いてある名前の牧場がどこか分からない。 というより広すぎる牧場の中、牧場主の看板がどこにあるのか探せない。 結局、案内地図を無視して歩くことにした。 羊の群れがのんびりと草を食みながら、私にゆっくりと道を譲ってくれる。丘の麓をずいぶん歩いたがPath(草の道)がいつの間にか消えている。谷に下りていた。行き止まり、鉄柵はあるがゲートがない、鉄条網が高くて、かなりのお転婆の私もこの柵は乗り越えられない。また、もとの羊の居た道に戻らねばならないのか? さっき出会った男性に地図の上にマーキングを頼まなかった我が迂闊さを悔いた。 今度も迷える羊は私だった。誰一人見当たらない。羊に聞いてみた。 I’d lost way . What to do? 羊は気の毒そうな眼でCalm down! (落ち着いて・・)と言ってくれた。That’s right. 暫し羊の群れの中に腰を下ろし休息し食事をとることに・・。チェルトナムの街で買ったサンドウイッチとオレンジジュースが胃袋を刺激し活力が湧いてきた。 風に牧草が震えている。 草いきれと羊の落し物のFragrance(香り)のバランスがいい。この落し物が適度の雨で地下にしみ込み、有機肥料になり緑の牧草を育てる、究極の循環型・・いや羊そのものがOrganicな存在なのだと知る。 ここで感心している場合ではない。夕刻、5時までにウインチコムの村の決められたポイントに到着しなければならない。 急がば回れ・・の諺がある。登りはきついが戻ることにした。しばらくして短い草の上にわずかに轍の跡のように続く踏み跡を見つけた。 行く方向とは違うがその道を選んで歩きだした。延々と下って登って1時間は超えている。フィールドに入り丘を越え、オークの樹林帯を抜けひたすら歩いた。すると目の前に突然、しっかりしたトラック道路が現れた。その先に村の家々が見えている。蜂蜜色だ。Hurray!バンザイ I'v finished it! ![]() ![]() ![]() 犬を散歩する人がいる,訊ねながら街の中心地までは容易に到着できた。約束の時間まではまだ、1時間余を残していた。17kmは歩いたろうか。緊張がほぐれたが我が脚は相当に疲労している。約束のホテルロビーで時間まで体を休め、ドライバーと合流。 ![]() ![]() 2日目はBroadway→Chipping Camden 3日目のBroadway→Moreton-In-Marshのコースには日本語の案内図があり、パブリック・フットパスの標識が整備されていた。迷うことなく、緑の風に包まれて、ひたすら歩く、草の小道、小麦や大麦の農場のゲートをいくつも越えた。3日間とも絶好のウオーキング日和とはなんと幸運なこと。 イギリスの歴史と深く関わっているこのFoot Pathの使用は法律で守られ、ルートはボランティアによってメンテナンスされているという。小麦の穂先が重く垂れ収穫を待つ麦畑のど真ん中にある細いパス、今、私が歩いているこの道を中世の農民が口笛を吹きながら歩いたのだろうか。このようなロケーションは日本にもあるのだろうが、自由に歩かせているとは聞かない。 ![]() ![]() ![]() やはり3日目の道もWalkerは私だけのようだ。次のゲートへのfoot path案内標識(背丈ほど高さの15㎝四方の角材に家のマークの傾きで方向を示す)が目に入ると単純にうれしい。3日間で幾度このマークに安心させられただろう。小さな村に入ると、よく犬を散歩している人に出会った。道を確認するのに困らない。数えきれないほどのフィールドを越えた。ふと,若山牧水の「幾山河,越えさりゆかば・・・」とか、Karl Busseの「山のあなたの空遠く、さいわい住むとひとのいふ・・・」が思い浮かぶ。どちらも旅を愛した歌人だ。少し感傷的になっている? こんなに草の上を歩くことが心地好いとは知らなかった。手元にいつも日本で聞いているウオークマンを持ってきているが、スイッチを入れる気がしない。ここではそれらのツールが雑音にしか聞こえないような気がして・・。今はただひたすら足を前に運んでいたい。草原と樹木のエネルギーだけで充分に癒されている。 五感を研ぎ澄ませて音を探す。聞こえるのは小鳥の囀りと木々を渡る風の葉擦れの音と我が足音だけだ。機械的な音は皆無、これを静寂というのだろう。 草の中に見つける、あるかなきかの細い道(path)、はっきりした道、草の丈高いブッシュの道、土の道、落ち葉の道、麦畑の道を歩きに歩いた。不思議と疲れない。牛がいた。羊がいた。3日間、緑色の中にどっぷりと漬かっていた。日ごろ色彩に疲れていた視力が戻っている。シニアグラスが要らない。 ![]() ![]() ![]() ![]() 日本語の案内文には「しばらく歩く・・とか、かなり歩く・・」と書いてある。実にあいまいだが「しばらく」と「かなり」の距離をつかんだ、しばらくとは100m~200mぐらい、かなりとなると1000mぐらいのようだ。最終日も今日、4枚目の最後になった案内図を前にして、我が来し方を振り返り眺めた。歩き終えるのが惜しい・・・。そして、予定どおりに無事に異国のPublic walkingコースを歩き切ったわが足が愛おしい。 ![]() ![]() 単なるバスの観光旅行では得られないMy Cotswold。特別の場所になりそうだ。 特に初日のコースは忘れがたい・・・。宿泊したB&Bの朝食も申し分なかった。Broadway(ブロードウエイ)ではマダムと一緒に犬の散歩に出た。感謝を込めて別れのHuging See you again。靴底にまだ草の感触を残しながら、今夕、列車でロンドンに向かう。 ![]() ![]() オックスフォードからパテイドンまでスーツケースを持って2等列車に乗った。 学生風の若い男性に、次にこのホームに来る列車に私の持っているチケットで乗れるかどうか?目的駅まで何分ぐらいで、いくつの停車駅があるか確認した。私の英語が聞き直されず、その答えが聞き取れたことがうれしい。 各車両に広い荷物置場があって座席も清潔で洒落ている。さすが蒸気機関車を初めて走らせたイギリスの鉄道だ。 晴々と乗客になり車窓に目を移した。フィールド見つけると、思わずフットパスのサインマークを探していた。 ![]() ![]() 二番目の孫娘が堺市から一人で広島に遊びに来た。 高校入学以来ソフトボールクラブに所属し3年生のいまは投手で副キャプテンをしているという。8月末の部活終了まであと数日を残すのみ、つかの間のお盆休みに顔を見せてくれた。 会うたびに背が伸びていて見上げるほどの168cm、体重57k、すらりとした長い手足は連日の部活の日焼けで茶褐色にひかっている。早生まれの彼女はまだ17歳。 私が通うスポーツジムに喜んでついてくる。家から最寄りの駅まで歩いて約20分、長い脚はのびやかに動き、同じ歩調でもつい私が遅れてしまう。ジムに備えてあるマシーンで一緒に筋肉トレーニングをした。彼女の身体能力は相当に高い。人の居ないストレッチコーナーでバック転などを難なくこなしてしまう。3年前入学祝いにトルコに連れて行った孫娘である。 彼女は私が見たこともないTV番組を選んで見ている。Iphoneに収録している音楽もなじみがない。半世紀余の隔たりはどんな会話になるのだろう。ゆっくり楽しめるチャンスでもある。 「クラブ活動があるから学校が楽しかった」という。9月からはいよいよ受験体制に入るのだが、本人は体育の教師になりたくてその方面の大学を希望しているらしい。 わが娘は云う「成績が今一つ芳しくないのだ」と・・。「その分何よりも大事な体と心を鍛錬してきたのだから・・」と私はいう。誰にいじめられることもなく、誰をもいじめていない、そして先輩・後輩関係を学んで過ごした3年の経験と身体能力は「成績」に勝ると思うのだが、親の娘にすればもう一つ先を望んでしまうのも理解できる。かつての私もそうであったから・・。 3人姉妹の真ん中の彼女はフルタイムで働く母親を手伝って家事を上手にこなす。今度も私が立つキッチンで私のすることをジーと見ている、彼女は小さい時からそうだった。手先が器用で生活器具の使い方など実に無駄なく見事だ。これがデジタル機器で遊んできた子供たちの典型なのだろうか。 3日目、大阪に帰る日広島駅でお好み焼きを食べながら彼女は私に聞く。 「おばあちゃん、お父さんとお母さんはどこで出会って結婚するようになったのか知ってる?」「知っているよ」そういうことに関心をもつ年齢になったのだと思う。 私が見知っているいきさつを話してやると目を丸くして真剣に聞いていた。 特にお父さんの子煩悩ぶりには感心していたことも・・、私の知るどの父親よりも子育てに熱心で、どんな遊びにもとことん付き合っていたこと。3人の孫娘がそろって体育系に育っているのも頷ける。彼女たちは父親から「勉強しなさい」とは一度も云われていないと思う。 彼女は今、その父親を非難して「うるさく注意しすぎる」のだと訴える。 「門限を守らないときなど厳しく注意される」と。 孫娘 「友人と遊びに行って自分だけが早く帰ることは出来ない、おばあちゃんにはわかるでしょ」という。父親は警察官である。 私 「お父さんは職業柄若い女性の危ない事例をたくさん知っているからよ」「娘が補導されたりしたら大変だと普通の家よりは少しは厳しいかもね」と重ねる。 孫娘「信用してもらえないのが悔しい」「ご飯を残したときも口うるさいのよ」と・・。不満やる方ないらしい。 親よりも友人関係に比重が移っているのだ。ここは譲れなくて反抗して無視する。とことん自分の考えやその理由を冷静に相手に説明出来ればわかりあえるものを・・お互いに肉親だからという甘えがあり感情的になり省略してしまうのだ・・。もめごとの原因はたいていこのあたりにあるのが相場である。 反抗期・思春期で心揺れる真最中。父親から見ればあんなに自分の庇護のもとに従順であった子犬がいつの間にか大きくなり操縦しにくい闘犬に変身してしまって狼狽えるのである。 かえって順調に親離れが進んでいることを喜ばねばならないのだが・・当事者はなかなかそうもゆかないらしい。 新幹線の土産売り場で父親に小さなストラップを選んで買っていた。その横顔は父親が大好きだった頃の面影を残していた。 時折、親と子の葛藤の聞き役になってあげるのも祖母の役目かも知れない。 半世紀の隔たりを感じない友人同士のような会話が出来て安心した。 帰省ラッシュで混雑する新幹線の改札ロビーに見送った。人ごみの中に長身の彼女はいつまでも見えていて・・・背中に次の目標に向かって突進するように願った。早朝訓練や夏季休暇の特訓で培った根性を武器に・・・。 ![]() ![]() ![]() 7年前の頃 ![]() ![]()
◇ 同じ荷を載せて周るターンテーブル我がスーツケースいずこを迷うか?
◇ 我が荷物 2枚の紙に化けAM3時タクシー拾う白夜のエアポート ![]() ![]() スーツケース紛失 3つの飛行機を乗り継ぎ、約27時間かけてIceland の首都Reykjavik(レイキャビック)のケブラヴィーク空港にたどり着いた。現地時間、深夜12時、細切れの睡眠で体が重い。 ところがターンテーブルから私のスーツケースが出てこない。まさか? そのまさかのlost baggage だった。オランダのアムステルダム→デンマークのコペンハーゲンで乗り継いでいる。どこでどうなったのか? 既にサービスカウンターに10人ほど並んでいた。私もターンテーブルを気にしながら最後部にならんだ。ホテルにmobile Phoneで事情を説明し遅れる旨を伝える。 係員は深夜のため1名のみ、相当の時間がかかることを覚悟しなければならない。 Baggageの色・形・素材・大きさを表示した写真を見ながら説明し、書類に名前・日本の住所・電話番号・E-mailアドレス・Icelandで滞在するホテル名を記入した。それを係員がPCに入力して書類を作成している。「なるべく早く探して滞在先ホテルに届ける」という。受付番号の記載された2枚の書類を貰い、空港の税関係員に見せてタクシー乗り場を探した。時計を見ると午前3:00、私のスーツケースは2枚の書類に化けていた。 もし見つからなければ・・と一瞬不安がよぎるが待つしかない。着替えやバッテリー充電器など入れてある. どれも明日から必要な品々だ。 通常、スーツケースはコンピューターで管理され最終地へ届くはずなのだが、乗り継ぎ便の積み替えには人間の手が加わる。起こりうる事態だがうれしくない初体験になった。 極夜の国の午前3時はまだ薄明るい。タクシーでReykjavikのダウンタウンのホテルまで40分。 翌日、寝不足のまま予約していた3時間の市内観光を終えて急いでホテルに戻ってみると、カウンターに見慣れた私のスーツケースが待っていた。ほっと胸をなでおろす。きっとコペンハーゲンで別の飛行機に載せられたのであろう。
◇ 異国の街歩きいてふいに睡りおそう時刻むからだ日本のままで
Reykjavikはヨーロッパの北の果て、北緯64度、自然エネルギー100%世界一空気のきれいな国の首都だ。人口28万、予想通り車が少なく、高台から見ると人口の3割が住むというダウンタウンはおもちゃ箱のようにカラフルだ。高層建築物は見当たらない。 北緯64度にしては暖かく気温14度の夏は、メキシコ湾流(暖流)のお蔭という。真冬でも零下4度程度という。北緯61度のアンカレッジ(アラスカ)より暖かいのだ。 北海道をふたまわり大きくしたぐらいのこの国はThe Arctic Sea (北極海)とThe Atlantic Ocean(大西洋)上にぽっかりと浮かぶこの国は、世界のTV番組CNNやBBCの天気予報の画面に出てこないほど小さく北にあるのだ。 ![]() ![]() 火山活動が活発で数々の温泉が湧きだす「火の国」でもある。地上20mも吹き上げる間欠泉は壮観だ。轟音と共に勢いよく温水が噴き上がる。 この温水はパイプを張り巡らされ全家庭の暖房や温室に利用されている。巨大な地熱発電は三菱重工のプラント技術であることをガイドが日本人の私を呼んで教えてくれた。福島原発で悩む日本が光を当てねばならぬものをこの地で見ることになろうとは・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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