大昔の地図を片手に、先生のご本を読ませて頂きました。
専門用語もなく、詳しいお食事内容が楽しくて、なんとなくハイキング感覚で読めました。キリマンジャロも、本当は随分お辛い思いをなさったことかと拝察いたしますが、
先生の文章が軽快なのでしょうね、あまりネガティブな印象は受けませんでした。
それと、写真が沢山あって参考になりました。珍しい高山植物や遺跡なども、実際に行かれた方ならではの視点からのお写真ですね。特にマチュピチュのお写真は、町全体が俯瞰してあり「ハ~こういう大きさの町だったんだ~」と感心いたしました。
キリマンジャロの雪の少なさにも驚きましたし(
缶コーヒーの絵柄とは雪の量が違いますね) 他の山も含めて、全体に思ったよりも雪が少なくなってるようです。
温暖化を実感するひとコマでした。
もちろん、個々の山に関しても、登山者へのアメニティーが、そのまま国の経済状態を反映しているようで、大変興味深く読ませて頂きましたが、全体を通して私が最も感銘を受けたのは、ナントカ山のことではなく、冒頭の「
地政学的リスク」という概念でした。
日本のように、学校どころか塾まで完備された豊かな国がある一方で、ネパールのように学校に行くのさえ大変な国もあるという現実。ただ、生まれたのがその国であったというだけで、甘んじて不幸を受け入れるしかない人が世界に大勢いることは、子供のときからの私の小さななぞでした。
根を下ろす場所を選べない、植物同然の人生しか送れない人たちをとても不幸だと思っていたのです。 ですが、どんな貧しい国でも、ポーターは同じように親切で、住民は皆さん歓迎してくれたんですよね。
立派なスニーカーでやってくる登山者を、擦り切れたゴムぞうりを履きながらも、ちゃんとサポートする人がいる。それで、彼らは特に自分を不幸だとは思っていないということ、
さらに、キリマンジャロのクンダサイさんのように、恵まれた環境にいなくても、人間としての暖かさは失われないのだということ。
この2点は、私の先のなぞを解いてくれる一つの鍵になりました。
地政学的リスクは、イコール不幸せ、というわけではなかったのですね。
足るを知るという、ごく単純なことなのでしょう。私はどうやら、たいへんな勘違いをしていたようです。
翻って、今の日本の”荒れ模様”は、一体どういうことでしょうか。
先生も、各国でお嘆きになってらっしゃいますね。何もなくても、足るを知ることのできる国民と、何でもあるのに不満ばかりの国民では、本当に幸せなのはどちらか、はじめから勝負はあったようなものでしょう。
細○数○ではありませんけど、先生のご本を読みましての一番の感想は、
まさに
「幸せってなんだっけ」ということにつきるかと思います。
先生がお書きのように、幸せのモノサシを、日本人は見直す時期にきているのかもしれませんね。単に贅沢をしない、ということではなく、心身ともに満ち足りた状態にするためにどうすればいいか、私も日々の生活を見直したいと思っております。

キリマンジャロ登頂証明書・・リーダーが私のために白紙のをくださった。自分の登れた
ギボハットの高度を記入して持っている
広島市安佐南区大町東1-2-24
西医院 院長 西 浩 子氏
キリマンジャロ山小屋のニカス総支配人と・・。